最近の生活 2022年4月-2024年8月を中心に
過去の自分が書き連ねた駄文を読み、自分の中での記憶がいかに美化されてきたかを感じた。
最近の自分をここにも書き残しておこうと思う。
大学卒業後、某証券会社に入社した。
方々のお力添えのおかげで入社できたと思っている。一生頭が上がらない。
総じて、同期、上司、周りの人間に恵まれた。
シンガポール移住後も、ストレスの少ない日々を送っている。将来の不安はあるが、深刻な悩みはかなり少なくなった。次の目標を探している。
2022年4月
コロナ禍の中、研修はオンラインで始まった。
月曜日から金曜日まで毎日8時30分から17時10分まで画面の前に座り、終わった後も誰と会話することもなく適当に外食して寝る。そんな日々を送っていた。かなり孤独を感じていた時期。
同期と何度か飲みに行ったが(禁止されていたが)、飲みに行くたびに周りの性格、過ごしてきた環境のギャップなどに違和感を抱いた場面も多々あり、自分は入社する会社を間違えたのではないかと思う時もあった。
一方で、一部の人間の向上心や努力には目を見張るものがあり、見習うべき点が多々あった。後から見ればかなりいい人間関係が築けたのではないかと思う。
全体研修が終了。最終日に、クラス担当の人事社員がよく頑張ったねと新人に話しながら泣いていたのを今でも覚えている。役割としてプレッシャーを絶えずかけ続けるというのもまた、苦しい仕事だなと思った。
2022年5月
営業研修が始まる。中旬で全カリキュラムが終了。
研修を通じて、いままで曖昧な理解、大枠だけの理解に留めていた部分をかなり懇切丁寧に詰め込まれ、今現在もかなり助けられている。
何より、上司の説明が大変わかりやすかった。相手の習熟レベルに合わせて説明するのがとても上手く、比喩や例示の使い方についてもかなり勉強になった。
2022年6月
受電業務。株式の注文や簡単な手続き関連の処置を行う。難しくはなかったが、元々電話自体が嫌いだったので(今も得意ではない)、少々苦労した。
同時に、メールアドレスのヒアリングなど、架電業務も始まった。
趣味のアーチェリーなど、プライベートの部分で充実し始めた。一つ下の学年の引退試合を見に行ったが、私の同期は誰1人きておらず、薄情な奴らだ、そりゃ現役の時苦労するわけだ、と思ったり。
2022年7月
業務内容は継続。
支店訪問があり、営業店の先輩社員にくっついてお客様のもとへ行き、学ぶ時間があった。
雰囲気がかなり異質だと思った記憶がある。昔の面影を強く感じた。
初めてのリフレッシュ休暇で1週間連続休みがあった。
仲のいい部活の同期女子に会いに行った。1泊2日で函館旅行をした。パワハラで会社を辞めていた。その後岐阜に戻り、今でも定期的に会っている。
2022年8月-2023年2月
ライフプランヒアリング業務。
口座はあるが接点の薄い先に電話をかけて、年収家族構成など質問しまくる業務。今でも一番自分の中で納得できない業務。詳細は割愛するが、現在からこの業務を考えても、なにも糧にならなかったと思う。
12月に一部の同期が法人部署に配属された。
23年1月に、シンガポールの労働ビザ要件が9月に変更されるとの情報を受け、シンガポール移住を決意。
23年2月に労働ビザ申請、4営業日ほどで満額回答の許可が降りる。試しに出してみよう(どうせ時間がかかるか拒否されるだろう)と安易な気持ちで申し込んだのに、これを拒否したら2度と満額回答は出してくれなそうで、8月までに移住することがこの瞬間確定した。
2023年3月
高崎に配属となった。平日は何もすることがなく、10時間睡眠を頻繁にしていた。
東京には1時間弱で出ていけるが、名古屋までがかなり遠い。辞めることが頭にある中でこの環境はかなり精神を病んだ。
最初の1週間、毎日38度を超える熱がありながら、歓迎会などをこなした。図書館で地域のことを調べるという課題だったので、非常に助かった。この期間、ゆうちょの株式売り出しがあったが、支店長から、終わってないのに帰りやがって、との趣旨の支店全員宛のメールがあり驚いた。優秀な部店の裏には詰められる営業員もいる。新人には割当がなく、こちらも非常に助かった。
社宅が最悪だったとここに記しておく。築31年のボロアパート、宅配ボックスなし、ユニットバス、シャワーカーテンなし、そして何より排水から臭いが常に上がってきて非常に臭かった。消臭剤などを大量においたが、それでも匂いの方がきつかった。結局退去するまで解決策は何一つ功を奏さなかった。
2023年4月
既得意客を割り当てられた。かなりの人数を割り当てられ、接触すればするほど引き継ぎに迷惑をかける一方で、接触しなければ上席に詰められる。パラドックスに苛まれたので結局すぐに退職を申し出ることにした。引き継ぎなしの新規開拓ならもう少し長く会社にいられたのになと思った(社風的にそうなると期待していたが裏切られた)。すぐに顧客接触禁止となり、暇を持て余した。月末、最終出社日を迎え、短い高崎生活は幕を閉じた。
2023年5月
フランス、ヴェルサイユ宮殿にてディナーをいただく機会があった。いまでも鮮明に思い出せる。
移住への不安感はあったが、結局後は野となれ山となれの気持ちでいくことにした。
2023年6月
シンガポールに移住。何度も訪問したことがあったし、父も住んでいるので違和感はなかった。ただし、ここからが孤独感の始まりである。シンガポールに友人はおらず、勤務先も父と2人なので新しい人間関係はない。非常に暇だった。
2023年7月
銀行のセミナーでシンガポール人の知り合いが出来るも、みんなイギリスかアメリカの大学に通っていて、ギャップに驚いた。日本人が地方から大学のために上京するような感覚で、海外に留学する。人生の幅が広がりそうで羨ましく感じた。この先シンガポールに戻ってくるのか、そのまま現地で働くのかはわからないが、数十年単位で様子を伺えたらと思っている。
2023年8月
英語学校に通いはじめる。周りは奥様ばかり。配偶者ビザでは就労できないので、多いのかもしれない。教育目的で、中国本土から子供と奥さんだけでシンガポールに移住しているケースも散見された。
2023年9月
3ヶ月ぶりに日本帰国した。楽しいと感じた一方で、住むべきところでもないと感じた。決断に後悔はないことを自覚できたのはとても良かった。
このころほとんどの証券口座のセットアップが終了し、運用が本格的に始まった。
2023年10月
アメリカ市場を覚えたくて始めた半導体投資が全くうまくいかずに苦しむ。日経は少々利鞘とれた。結局、年内にはなんとかポジションはずせた。
日本から親友が遊びに来てくれた。香港旅行もした(現地解散)。
2023年11月
人生初のイタリア旅行。ミラノとピエモンテ訪問。
イタリアワイン全く知らなかったし、味の区別の仕方もわからなかったが、ともかく80種類くらい飲んだ。
ピエモンテは、近いうちにまた訪れたいような場所ではなかったが、非常にいい経験だった。
ミラノは、ドゥオモの教会を始め、見どころがたくさんあった。こちらは何度訪れても楽しめそうな気がした。ミラノ風カツレツ気に入りました。レストランで食事の際、隣のテーブルに野田Jujuさんご一行がいた。まさかその時は2024年からsuper formulaに出場するとは思わなかったが、、わからないものですね。頑張って欲しい。
2023年12月
1人の人間と出会う。この先、いろいろなことがあったが、それは別にどこかのタイミングでまとめて書こうと思います。後悔の始まり。
パリ旅行、香港一人旅、年越しはタイで部活の2つ上の先輩たちと過ごした。
2024年1月
またもや現地解散、タイからシンガポールにもどる。
1日未満の日本滞在というわけのわからん行動もした。
2024年2月
シンガポールの免許書き換え試験を受けた。
どこまでやればいいのかわからず、模擬試験やりすぎで満点合格した。
英単語などは全く知らないものも多々あったので少々暗記の必要はあったが、問題にひねりはなく助かった。
2024年3月
シンガポールの大学で、ウェルスマネジメントを学ぶ1年のコースがあるとのことで、東京で話を聞いた。面白そうな内容だが、どこまで将来の糧になるのかもよくわからなかった(もちろん、後々永住権や国籍をとるとなればプラスには働くだろうけど、これである必要性がわからなかった)。
2024年4月
人生初のスイス。
ジュネーブにて、Watches and Wondersを観覧。
物価は世界一高い国で、シンガポールに住んでいても、この物価には驚かされた。フランスからの越境労働者も多い様子だった。日曜日はほとんどの店が閉まる。
住民はフランス語はもちろん、英語もイタリア語も喋れるようで、給与が高いのも納得。
2024年5月
ベネチア→ブルゴーニュ間では人生で初めてプライベートジェットに乗った。ロマネコンティのおじさんと同乗した。プロペラ機だったのでうるさかった。せまかった。
ベネチアは食べ物も美味しかったが、何より景色がとても良かった。街並みや風土、建築もとても綺麗だった。何度でも訪れたい場所だった。
2024年6月
1週間日本滞在して、自分が大学4年の時に1年だった後輩の引退試合を見届けた。感慨深いものがあった。
2024年7月
香港で銀行訪問、あと月末に日本に1週間滞在した。
銀行のイベントで、日本に留学してたインドネシア人に会った。相変わらず、日本人はおらずアジアにおけるプレゼンスの低下を感じる。
2024年8月
中旬から、2日に1回1時間半のウォーキングを生活に取り入れるようにした。併せて食事についても気を使うようにした。4kgほど痩せたが、月末のスイス旅行でリバウンドしたと思う。継続していきたい。
と、大学卒業後、直近2,3年の自分はこんな感じ。
また定期的に書き残していきたい。
引退した。失ったもの。
部活をついに引退した。
と同時に趣味アーチェリーの始まりである。
大学生活で失ったもの。
部活動としてのアーチェリー、思考力、行動力、など。
地元のアーチェリーサークルのようなものから始まり、部活動としてのアーチェリーへと経る中で、インターハイ、国体、インカレと様々な大会に出場することができた。
様々な全国大会を経て、自分自身がいかに半端者か、無力感、モチベーション、他にも色んなものを学んできた。楽しかった。学びとは非常に楽しいものだ。
何より、自分が思ったより何も出来ない事を学んだ。
体育会という場においては、自分自身がやりたいと思った事に対して、それをするために費やすコストが見合わない。伝統とか理不尽とか意味のわからない同調圧力とか理論的でない言説とか…これらを跳ね除ける必要がある。
元来自分は根性論では動けない人間なので、コストパフォーマンスを考えた上で有意であると思った行動しかできない。
そんな人間が体育会にいるとどうなるか。
言いたいだけ言って何も行動しない人間に成り果てるのである。一番最悪だ。
何より自分自身が過ごしやすい環境を整備した結果が、自分が何もする必要がなく勝手に物事が動くが、その代わりに何の建設的な議論の発生しない環境、手段と目的の逆転が平常的に起こる環境なのだから、これはある意味身から出た錆なのかもしれない。
異を唱えても何も変わらない事に絶望した。
だから、ある時から挑戦やその為の行動をすることをやめた。
何と言われようが、無神経であることを選んだ。
どうすれば良かったのか、自分がどこで道を間違えてこんな環境にいるのか、そんな事を自問しながら、この環境をやめる論理的な理由を作ろうと色々と迷惑かけたりしたが、それさえ中途半端になり、結局正規の引退日で引退した。
自分は結局何がしたかったんだろう。
自分の頭が更に悪くなったようにしか思えなかった。
こうやって人は変化するのか、とも思った。気力活力は経年で失われていく。
どこかで補充しなきゃな。
もう安寧を求めるのはやめよう。環境は自分で選ぶことも変えることもできるはずだ。ご機嫌伺なんてクソくらえ。
自分に忠実であれ。
コロナ禍のなか、思うこと。昨年度は何を?
久しぶりに書くなと思って前回の内容を読んだらアーチェリー努力してる片鱗が見えたので、今回は7vs7CWから、メタルウォーズまでの間、WoTせずに何をしていたのかについて振り返ってみたい。
私は中学にアーチェリーを初めてから、大学3年となった今でも体育会でこの競技を続けている。気持ちよく射って10点に当たるというのは、何ものにも変えがたい感覚で、これが好きで続けていると言っても過言ではない。年を経ってもこの競技は続けられるから、1972年とか1976年とかにオリンピックにでてたおじちゃんたちと一緒に練習してるのは、なんとも面白い。自粛期間は大学の射場が使えず、外部射場で練習していたから、おじちゃんおばちゃんの練習に対するモチベーションには、学ぶところがあるように感じた。
昨年度は大変疲れた。WoTしても戦闘中にwキー押しながら寝てる時もあったので、プレイする気にならずプレ垢を300日ほど無駄にした気がするが、多分気のせいだろう。
自分が知らない間にCROWNがアジア最強じゃなくなり、知らない間に自分のよく見ていた配信者たちもごっそり消え、装輪戦車が戦場を我が物顔で駆け抜けていき、FFがなくなり、そんな中今でも変わらず配信している人がいるのは何とも嬉しかった。
さて、なぜそんなに疲れたのだろう。
弊大学のアーチェリー部は、通常幹部交代を6月末の全国大会を区切りとして行う。つまり、昨年度は初心者でも幹部代でもない、中間管理職となる年度と個人的に位置づけていた。
新入生は11人、男子9女子2、うち男5人が初心者だった。リーグ戦で自分の代もブロック1位を維持する為には、何としてでも初心者育成は欠かすことのできない至上命題であった。
この競技の初心者の練習メニューは大変地味だ。始めて4.5ヶ月は主に体幹強化に充てられる。射型の指導はある程度行うが、点数というより形や体の動かし方について重点的に指導される。弓も、初めからオリンピック出れるくらいの重さは引けないので、矢も30mくらいまでしか届かない。当然当たらない。経験者の練習は基本70m、初心者より距離は遠いが、点数勝負しても経験者が勝てるレベルなので、見えない壁はどうしても生まれてしまう。これは、どうしようもない。
そこで、私は1月に1度男子を集めてミーティングの機会を作ることにした。練習の目標設定の仕方や、それに対するアプローチのための方法、自身の目標表明、それに対する振り返りなど。結果としてはまあうまく軌道に載せられたと思う。目に見える成果になる前にコロナがきて、試合が全て潰れたのは悔しい。
でも、これだけじゃ睡眠不足にはならない。結局部の同期に対して人間関係への工作が一番疲れたんだろうな。
次回、葛藤編。
私の夢と希望
大分かくのをさぼってた。
最近アーチェリーが楽しい。インドア競技を外で練習するのはちょっと違うと思うけど。寒さに勝つ面白さ、楽しさがそこにある。皆はじめよ。意思と並みの努力をすれば地域予選は突破して地域決勝には行けると思うよ。
まあそんなわけで今非常にアーチェリーに対するモチベーションが高くゲームする暇がない。ごめんよ。1日が短すぎるのが悪い。
私の現在の目標はリーグ戦全戦出場、優勝決定戦出場、そして王座のメンバーになり優勝すること。
王座というのは大学生の出る全国大会がインカレ、王座、全日本、国体とある中で最も価値のある大会(少なくとも自分のなかでは)。大学毎の団体戦があるのはこの大会くらいなものである。
多分順当に努力すれば2つめまでは可能。
問題はその先、まず王座メンバーになることである。
現在の自分の実力では直近の試合結果を見ると4年生を除いたら6位。あと2人抜かなければならない。
ここを確実に越えるためには70mで640-650点は欲しいところである。つまり高校時代の自己ベストを越える必要がある。
最近私は非常に努力している。この人たちを越えるために周りの人を利用しながら頑張っている。
つまり、WoTできるようになるためにはもう少し時間がかかるかな。
大学と高校の部活の違いについて思うこと
初投稿
ブログ始めてみた。
アーチェリーのことやWoTの事、日常の事、自分の頭の中などを書いたり時々回想にふけっていこうと思う。
まずはアーチェリーの事を。
自分が今いる大学にはむちゃ強い選手が沢山いて、また監督はオリンピックでメダルを取ってる人。
すごい恵まれている環境だと感じるが大学で部活、体育会に入っている人は希少種且つ部活が忙しい為、あまり学部の友達と遊びに行けないのが難点。
まあそんな中でアーチェリーをしている訳だが、同期8/10が女子というまあ男子校から突然入るにはハードルの高いところで、更に入学した時には8人とも推薦故に1ヶ月近く共に練習してきているところに突っ込んで行ったから、早く環境に適応しなければならないという焦り、アーチェリーの点数も元に戻さないといけないという焦り、まあWoTしている余裕なんてどこにも無かった。やっと最近余裕ができてきたのは嬉しい。
まあそれぞれ同期女子について簡単に言うと
1, ザ芋な方の女子校育ちっぽい人
2, お嬢様学校な方の女子校育ちっぽい感じの人
3, 個人意識の強い人
4, 色々支離滅裂な人
5, 大人しいけど女子女子してる人
6, 思考が読めない人
7, 面白い人だけど心の中は繊細そうな人
8, 休部中、人格が難しそうな人
唯一の男子同期は一般で入ってきてるし普通に1年もう一回やれば京大入れるんじゃ無いかと思うくらい頭が良い。但しバーチャルユーチューバー好きである事やカスタムキャストをやっている事からまあキチンとネットに生きてるな、変態だなって感じはする。自分の高校の周りに感じが似てるから分かりやすい。
まあそんなこんなでもうちょっとで祭りがあって、チーズハットグというのを作る。試作してみるとまあめんどくさそうな物を選んでしまったなという感じだ。
まあそれは許容できる。
ここ2,3ヶ月女子が4人でグループ作ってて、またその人たちは裏で他の人の悪口言うわコソコソするわであーこれが女子かーと感じる時も多々あり、一回喧嘩でもしてくれと思っている。他人の考えが直接わかる点で喧嘩は優れていると自分は考えるからだ。
まあ暫く自分は大人しくしてます。どちらにもつかず中立的に生きていきたい。
アーチェリーも最近はあまり点数出ないし色んな人に聞いててもやっぱり心の安定が無い、内側から変えていかないと当たんないよと言われてるし結局自分はメンタルなのかなあと考えてしまう。
だいぶダラダラ書いたので今回はこの辺で。次は大学の部活と高校の部活の違い、またそれぞれ個人の考え方の違いを書く予定。満足したら社会問題にも触れていきたいかな。