引退した。失ったもの。

部活をついに引退した。
と同時に趣味アーチェリーの始まりである。

大学生活で失ったもの。

部活動としてのアーチェリー、思考力、行動力、など。

地元のアーチェリーサークルのようなものから始まり、部活動としてのアーチェリーへと経る中で、インターハイ、国体、インカレと様々な大会に出場することができた。
様々な全国大会を経て、自分自身がいかに半端者か、無力感、モチベーション、他にも色んなものを学んできた。楽しかった。学びとは非常に楽しいものだ。

何より、自分が思ったより何も出来ない事を学んだ。

体育会という場においては、自分自身がやりたいと思った事に対して、それをするために費やすコストが見合わない。伝統とか理不尽とか意味のわからない同調圧力とか理論的でない言説とか…これらを跳ね除ける必要がある。
元来自分は根性論では動けない人間なので、コストパフォーマンスを考えた上で有意であると思った行動しかできない。
そんな人間が体育会にいるとどうなるか。
言いたいだけ言って何も行動しない人間に成り果てるのである。一番最悪だ。
何より自分自身が過ごしやすい環境を整備した結果が、自分が何もする必要がなく勝手に物事が動くが、その代わりに何の建設的な議論の発生しない環境、手段と目的の逆転が平常的に起こる環境なのだから、これはある意味身から出た錆なのかもしれない。
異を唱えても何も変わらない事に絶望した。

だから、ある時から挑戦やその為の行動をすることをやめた。

何と言われようが、無神経であることを選んだ。
どうすれば良かったのか、自分がどこで道を間違えてこんな環境にいるのか、そんな事を自問しながら、この環境をやめる論理的な理由を作ろうと色々と迷惑かけたりしたが、それさえ中途半端になり、結局正規の引退日で引退した。

自分は結局何がしたかったんだろう。
自分の頭が更に悪くなったようにしか思えなかった。

こうやって人は変化するのか、とも思った。気力活力は経年で失われていく。
どこかで補充しなきゃな。

もう安寧を求めるのはやめよう。環境は自分で選ぶことも変えることもできるはずだ。ご機嫌伺なんてクソくらえ。

自分に忠実であれ。